50代のパパから中学生の息子へ

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明日は今日の連続ではない。

だから今日を悔いのないように生きないといけない。

悔いのないように生きる、とはどういうことか。

自分の好きな食べ物をお腹いっぱい食べることか。

好きなアニメを心ゆくまで見ることか。

あるいは気の合う友達とずっとおしゃべりすることか。

これらは全て違うのですよ。

悔いのない生き方というのは、みかえりを求めず誰かのためになにかをすることができたか、ということです。

自分が犠牲をはらって、我慢しても、誰かのためになにかをしてあげる。

今日一日のうちに、一回でもそういう行為ができていましたか。

できていなければ、それは悔いの残る生き方しかしていないということです。

自分の欲望を精一杯満たすことが悔いのない生き方ではないのですよ。

よく覚えておくように。

見返りを求めないで人のために何かをする、とは具体的にどういうことでしょうか。

たとえば、あかちゃんが熱いアイロンに触ろうとしているのを見たら, 無条件に止めようとします。赤ちゃんが火傷したらかわいそう、と思うからです。

これは人間だれでも持っている感情です。難しい言葉で言うと惻隠の情と言います。

かわいそう、と思って何かをしてあげる、これも大切な行為です。

でも次のような場面に出くわしたらどうでしょう。

満員のエレベーターに、無理やりのうろとしている人がいたら、どう思うでしょうか?

その人はブザーがなっているのに、まだ乗り込んでこようとします。

そんな人のためにわざわざ自分が降りてあげようとは思いません。

でもその人が耳が聞こえない人だとしたらどうでしょうか。急いで診察に行く途中だとしたら。

状況は一変しますね。自分から場所を譲ってあげようと思うはずです。

相手のことを知ると、優しくすることができます。

これを慈悲というのです。かわいそうと思う感情の先にあるものです。

かわいそうと思うことはだれでもできる。

しかし、相手を理解してあげるためには、智慧がないとできません。

智慧とはよく考えるということです。感情のおもむくままにすぐ判断しない、ということです。

実は、これは誰にでもできることではありません。普段から気をつけていないとできないのです。

ひとのために何かをするとき、はじめはかわいそうと思って行動するのもいいでしょう。

しかし、本当の慈悲に基づく行為は、相手を理解してあげることからはじまるのです。

人に何かをしてあげることを、布施といいます。

人に優しくしてあげることも、布施のひとつですね。

いま普段の生活で、お布施といえば、お寺さんに法事のときにお金をあげることですが、もともとは、人に施しをする、という意味です。

人に優しくなるために、何かすごいことをしたり、お金をあげる必要はありません。

誰でもいつでもできることが3つあります。

一つは、優しいことば。

もう一つは、笑顔。

そして最後は、ひとの話をよく聞いてあげること。

優しいことばのことを、愛語(あいご)、といいます。

自分を傷つけず、相手を傷つけない言葉をえらんでいつも使うようにする。

これは言うや易し行うは難しです。

何気ないひとことが相手を傷つけてしまっていることはよくあることです。

だから、思慮あるひとは、あまりしゃべらないでしょ。

どんな言葉が相手を傷つけるかわからないからです。

ほんとうに優しい人は、あんまりしゃべらないひと。よく覚えておくように。

それから笑顔です。

ほほえみ、と言ってもいいですね。

これは前も話したと思うけど、女の子にぜひ覚えておいてほしい

実は、異性がもっとも惹かれるのは、かおの良し悪しではないのです。

実は笑顔なのです。いつも笑っている女の子のほうがモテるのです。

ほほえみは、周りを暖かくしてくれます。

困難な状況にぶつかったときでも、ほほえんでいると自然と解決してしまうものです。

これも実は難しい。黙ってムスッとしているほうが楽ですからね。

でも周りのことを考えれば、いつもほほえんでいるだけで、みんなに安心感をあげていることになるのです。

最後は、人の話を聞いてあげること。

これも実は難しい。おしゃべりが楽しいのは、じぶんがしゃべるからだよね。人の話をきくからじゃない。自分がしゃべりたいのと同じように、友達もしゃべりたいのです。だから、自分を押さえて人に話させてあげる。これも施しなのです。

この3つのことをイメージしてみると、本当に優しい人っていうのは、

あんまりしゃべらないけど、いつも聞き役で、いつも微笑んでいる人、っていうことになりますね。

お釈迦さまは、人の一生の長さは一息の間である、とおっしゃいまいた。

次の一瞬に、自分が生きている保証はどこにもないのです。

ましてや、今日の夜に床について、明日の朝目が覚める、なんてのは奇跡なんだと思うわけです。

明日はけっして、今日の連続ではないのです。

だから、今ここに集中して、悔いのない生きるようにしたいものです。

今日はこのへんで。

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