先日名古屋でIGPC活動説明会を開催いたしました。
主に医療従事者の皆様にむけて、リクルートを兼ねて、IGPCが何をやっているのか、ということをお話ししてきました。
冒頭で、理事長の挨拶として、「IGPCで働いても、得することはありません」というお話しをしてきました。
IGPCで働いたとしても、金銭的な見返りはまずありません。
医師で月額18万円、看護師で12万円からです。社会保障はついていません。
普通に日本で得られる給料の半分にもなりませんし、国連機関やJICAなどの政府組織で派遣される場合と比べても、お話にならないくらい少額です。
他の医療系のNGO、例えば国境なき医師団(MSF)は、月額18万円前後から経験に応じてアップしていきます。
さらに社会保障完備、渡航費用と準備にかかる費用もすべてMSFが払ってくれます。
日本のNGOだと、有名なのはジャパンハートさんや、ロシナンテスさんがありますが、大体お給料は20万円/月からです。そしてなんと言っても、社会保障がついています。
残念ながら、IGPCの財政では、社会保障まで提供できないのが現実です。
日本のNGOと比べてみても、とてもIGPCのほうが待遇がよいとは言えません。
さらに、名誉欲や承認欲を満たすような見返りもありません。
国境なき医師団の活動に参加すれば、ちょっと前であれば、テレビ番組で取り上げられたり、本を出版したりと、かなり注目を集めました。
最近は、日本人でも参加する人が多くなったので、以前ほど注目されませんが、それでも、「あーあのMSFですか」と誰もが認めてくれます。
IGPCに参加しても、誰も認めてくれません。
全く知名度がないのですから当然です。
では、将来、国際保健分野で働きたい人のキャリアアップとしてはどうか。
例えば、本当はMSFに参加したいけれど、臨床経験や語学力が不安な人にはIGPCはいいかもしれません。
IGPCは経験不問ですし、日本の団体なので、日本語でほぼ大丈夫です。
IGPCの採用では、TOECなどの語学力をみる試験のスコアも要求しません。
あるいは国連組織で働きたいけど、現場の経験がない、やっぱり語学が不安、という方にも向いているかもしれません。
ところが、実際にIGPCの現場に来てみるとわかるのですが、ある意味MSFより厳しかったりします。
と言うのは、自分の専門だけやっていればいい、というわけにはいかないからです。
周産期医療だけをやっていればいいのではなく、成人も小児も、外科、内科、整形外科などすべて対応しないといけません。
手取り足取り教えてくれる人は誰もいません。
実際に現場に来ると、たった一人であることが多いのです。
そして、扱う症例は結構重症ばかりです。とくに産科、小児科は、最重症例が搬送されてきます。
そこでは、自分一人の判断が、患者の生死に直結します。これは、かなりのストレスです。
日本あるいはMSFの病院と違って、電気・水といったインフラも医療資源もかなり制限のある中での活動になります。
しかもかなり高度な英語でのコミュニケーションが要求されます。現地のスタッフとの会話は英語になります。
彼らは、英語がうまく話せない人は、基本的に「教育がない人」とみなしますので、もしそのように思われてしまったら、指示も聞いてくれません。
というわけで、IGPCの現場は初心者向けではないのです。
それでも日本人が多い職場ではありますでの、日本語の会話ができる点では、ちょっと安心できますが。
まとめますと、IGPCで働いても、金にならないし、他の人から認められることもないし、キャリアアップのために参加するには厳しすぎる、と、いいところがひとつもないのです。
それでも参加する人がいるのはなぜでしょうか。
それは、IGPCに参加すると、「無条件に、愛すること」ができるから、だと思うのです。
ちょっと怪しい宗教団体のようになってきました笑。
注意して欲しいのは、「愛されるから」ではありません。
確かに、一生懸命治療したり看病した患者さんが助かって「感謝される」、あるいは村のみんなから「愛される」ということは当然あります。
でも、「愛されるから」ではなく、「愛すること」なのです。
宗教のことはよくわからないので、あまり深入りしないようにしたいのですが、愛は大きく2つに分けられると思うのです。
自分に対する愛と、他者に対する愛、です。
どちらも大切です。自分のことを愛せないと、自暴自棄になってしまいます。
しかし、迷いを引き起こし、苦しみの根本原因となるのは、己に対する愛です。見返りを求める、ということは自己を愛する行為です。すこしでも高い給料が欲しい、名誉が欲しい、人から認められたい、などなど。
でも逆に、今の日本で見返りを求めない行為というのは、実際は難しい。
特に医師や看護師など、国家が保証している免許を持っていますから、自分のプロフェッションを使って、見返りを求めないことはほぼ不可能です。
「ボランティアで病院で働きます、手術も当直もなんでもします」と言ってもなかなかやらせてくれません。
もし日本でそんなことを言ったら、「この人本当に免許もっているの?」と逆に怪しまれて終わりですね。
医療職はまだ売り手市場ですから、探せばいくらでもいい条件の職場を見つけられます。
職場を選ぶということは、多かれ少なかれ、いろんな条件を比較して、自分が得られるものの多い方を選択するということです。
見返りを求めず、自分が働く場所を探す、というのは以外と難しいのです。
さて、IGPCの現場に来てみると、医療職、とくに看護師にはいろんな職種があることに驚きます。
正看護師、看護助手、村落看護師、村落助産師などなど。医師は医師しかないのですが、”医師みたいな”職種があったりします。
実は、私たちは、そのどれにも当てはまらないのです。
現地の人にとってみれば、我々の立場は保証されたものではないのです。
外国人が、医者だ助産師だと言ってくるけど、現地の人からすれば、本物かどうかはわからないのです。
日本の外、途上国の現場に来ると、誰も自分が何者であるかを保証してくれていないのです。
自分の医師看護師としての技量、態度で、まわりの人をあなたが何者なのか分からせないといけません。
なにもしなければ、なにもしないひと。手術をすれば、手術をする人。赤ちゃん助ければ、赤ちゃんを助ける人。お産をとる人であれば、お産を取る人。
IGPCの現場にいるとあなたしかいません。
母体搬送でくる症例はどれもこれも重症ばかりです。
母体も、赤ちゃんも、あなたしか頼る人がいないのです。
見返りなんて考えている暇はありません。
否が応でも何かしないといけないのです。
しかも、日本とは比べ物にならないくらいの貧弱な設備しかない。
そんな中で、なにも考えずに、一人のお母さん、一人の赤ちゃんのために必死になっている。
IGPCの病院で一生懸命やっても、金銭的な得はないし、日本に帰って自慢もできない。
でも、目の前に仮死の赤ちゃんが置かれてしまったら、もう一生懸命やるしかないのです。
それは、何者でもないあなたが、無条件に愛することを実践している、ということに他ならないのです。
そして、赤ちゃん一人助けて自分が何者かになっていく。
普通に日本で暮らしているとなんの打算も計算もなく、誰かのために自分の時間を使う、なんてことが難しいですが、IGPCの現場に行くと、否が応でもやらざるを得ない立場に置かれてしまうのです。
そんな場所と時間を提供できるのが、IGPCだと思うのです。
報酬でもない、名誉でもない、キャリアアップのためでもない。
無条件に誰かを愛すること、そのチャンスがある場所。
これが我々が提供できる唯一のことなのです。
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