もう理事長でもなんでもなにのですが、めんどくさいのでこのままの題名で続けていきましょう。
べつに理事長職に執着しているわけではなく、たんにめんどくさいだけなのです。
今回は私の経験をお話しします。
マラリア感染のお話しです。
通常、西アフリカから帰国した人が、帰国後すぐに発熱すれば、まず疑うべきはマラリアです。それも一番恐ろしいと言われている熱帯熱マラリアを考えます。
もし帰国してから1ヶ月以上経ってから発熱した場合は、コロナウイルスかインフルエンザを疑います。
しかし、非常に稀ですが、帰国してからかなり時間がたってからでも、マラリアを発症することがあります。それが、今回私が経験した四日熱マラリアです。
まずは経過をお話ししましょう。
帰国してから2ヶ月近くが経とうとしている時期に発熱を認めました。
マラリアと一言で言っても、4つほど種類があります。熱帯熱マラリア、三日熱マラリア、四日熱マラリア、卵形マラリア、です。
この中で、私たちが最も恐るのは熱帯熱マラリアです。非常に致死性が高く、初めて感染した場合、数日治療が遅れると脳性マラリアといって、中枢神経を障害され命を落とすことも珍しくありません。その他のマラリアは、熱帯熱マラリアほど致死性が高くないものの、やはり高熱と筋肉痛でつらい病気であることは確かなのです。
私がいた西アフリカは、ほとんどの症例がこの熱帯熱マラリアなのです。
なんどかフェイスブックでご紹介しましたが、乳児がこのマラリアで命を落とすことが珍しくないのです。
熱帯熱マラリアについては、私ほど症例の経験のある産婦人科医もいないだろう、と自負していたのです。
これが命取りでした。
8月に帰国してから、発症したのは10月中旬でした。
実は、京都のお寺で座禅の修行をしていたのですが、座禅中に悪寒を覚えたのです。
このときは、まさかマラリアだとは思いませんでした。
というのも、私がいたのはシエラレオネですから、もしマラリアなら熱帯熱マラリアであるはずだ、と思ったのです。熱帯熱マラリアだとすると、発症する時期が、おそすぎます。普通、熱帯熱マラリアの潜伏期間は2週間以内と言われています。
ですので、この時期の発熱はマラリアというよりは、インフルエンザかコロナウイルスのどちらかだろうと思っていたのです。
コロナウイルスだとすれば、診断をつけても治療方法があるわけではありません。
インフルエンザだとすると、受診して検査で陽性であれば、内服薬で治ります。
いずれにしても、熱帯熱マラリアでなければ、焦る必要はありません。
しかし、、、、
コロナウイルスあるいはインフルエンザだとしても、どうもおかしい。と言うのは、解熱剤も何も飲んでいないのに解熱する時間があるのです。もしどちらかの感染だとすると、ずっと高熱が続きます。
今回の私の発熱は、午後から明け方にかけて高熱が続きますが、不思議と朝になると解熱するのです。そして、場合によって、発熱した翌日は、熱がでないことがある。
これで私は、ただの風邪のウイルス感染だろとう思ってしまったのです。
だったら、寝ていれば治る。自分の体力を過信していたのです。
京都の修行最終日の前日の夜に、40度の発熱がありました。
これはやはり普通の風邪ではなさそう、もしかしたらインフルエンザかもしれない、と思い、修行は中途でやめて下山することにしました。
ここでも執着があったのもよくなかった。
途中で修行を中止して下山するなんて、「カッコ悪い」のです。
休養すれば自分の免疫で治るはずだ、はやく治して、修行を再開しないと、と執着していたのです。
しかし、結局、40度の発熱があった後は、朝の修行に参加するのは無理です。明け方には解熱していたとは言え、体の痛みでとにかくしんどい。その夜は、ほとんど一睡もできなかったのです。
和尚様に話して、ひとりだけ誰にも会わないようにして下山することにしました。
お寺では、下山するときに、一緒に修行した人たちに挨拶をします。最後のお別れの挨拶ができないと、やり終えた感じがしないのです。
なさけない、みっともない。
しかし、今思うと、これはお釈迦さまが用意してくれた最高の修行だったのかもしれません。
和尚様の法話にあった話ですが、柔軟な心も持つために必要なのは、負ける練習をすること、そしてみっともない、なさけない経験をすること、だそうです。
修行を最後までやり遂げよう、なんて思いも自我意識が根本にある執着に他ならないのです。
さて、下山して、本来であれば京都観光をして帰ろうと思っていたのですが、とにかく体がしんどくて歩くのがやっとです。
幸い熱はなかったので、新幹線でどこにもよらずに帰ることにしたのです。
ところが、今度はこの新幹線が沿線火災の発生で大幅に遅れることに。
結局、東京についたのは80分遅れでした。
今思うと、この新幹線が遅れたのがよかったのです。と言うのは、おかげで新幹線の車内でゆっくり寝ることができた。体のしんどさも少しとれたので、なんとか東京の自宅に戻ることができたのです。
東京の自宅についたのが午後4時すぎ。そのときから、また40度近い発熱が始まったのです。
発熱の原因は何か。朦朧としている意識の中で、やはりマラリアなのでは、と思い始めていました。私の場合は、すでにマラリアに何回もかかっています。さらに予防的に抗マラリア薬も飲んでいたので、普通の人が感染する場合とは違うのでは、と思ったのです。
そして、やっと新宿にある国立国際医療センターという、熱帯感染症の専門科がある病院を受診することにしたのです。
ここまでの経験から学んだことは、執着をすて慢心を捨てなければ、いつまでたっても苦しみから逃れることはできなかったであろう、ということです。
自分が一番よくわかっているのだからマラリアであるはずがない。コロナウイルスにしてもインフルエンザにしても、自分の体力で直せない病気はないであろう。寝ていれば治る。
そんなふうに思っていたのです。慢心以外のなにものでもないわけです。
結局、このマラリア感染で、予定していたJICA専門家として参加する予定だったパキスタン行きは延期となってしまったのです。
パキスタン国内でもさらに治安の悪いハイバル・パフトゥンハー州という場所でのプロジェクトですので、普通に旅行に行くのとはわけが違います。
とくに戦争がおきている現在、安全のための手続きが非常にめんどくさいのです。
JICAの許可を得たら、自分の滞在場所と行動範囲を、現地政府に提出し許可を得てもらい、さらに警察や軍にまで連絡をしないといけません。その手続きは膨大な事務量となるのです。それをもう一度、プロジェクトの皆様にやってもらわないといけなくなったのです。
はやく医療機関を受診していれば、早く治って、予定通りパキスタンに行けたのか、と言われると必ずしもそうとは言えないと思うのですが、しかしやはり出発間際になってキャンセルなど、周囲に迷惑をかけたことは事実です。
自分の慢心で、苦しむことが長引いたことは、これは自業自得です。しかし、自分の慢心ゆえに周囲に迷惑までかけているのですから、みっともない、恥ずかしい、と思わずにはいられないのです。
さて、入院した後の話がこれから続いていくのですが、それはまた今度。
今回はこのへんで。
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